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波の満ち引き

今朝起きたら、憑き物が落ちたように身体が軽かった。
長らく留まっていた悪い波もようやく去っていったか。
しかし、体調によってこんなに世界の見え方が違うか。
毎度毎度思い知らされることではあるが。
今も決して絶好調というわけではないが、
それでも見える景色に生気を感じる。
久しぶりに「楽しむ」ということがどういうことだったかを
幾分かは思い出せた。

生きること=楽しい。
生ということのその中に既に喜びというものが含まれている。
生命とは生かす意志。
草花を育むあの力。ワクワク。悦び。

これはもっと調子がよかったときに感じたことであって、
今はそこまでは感じていないが、その一端くらいは感じている。
これが調子が悪いと、生きること=苦行、になる。
「楽しむ」という発想がすっかり頭から抜け落ちる。
ものの考え方が丸っきり変わる。感じ方だけでなく考え方まで。
だってつい昨日と今日では丸っきり違うから。

しかしどちらが本当の自分かというと、どちらも本当の自分なんだろう。
調子のいいときと悪いときと、どちらの言葉に真があるか。
なんて言っても、やっぱりどちらも自分なんだろう。
その体調の波も含めて自分なんだろうなと思う。

100ある真理への階段のうち、1段目のときと2段目のとき、または10段目のとき、
どの瞬間の自分が最も「自分」であったか。
どの自分をもって自分の代表とするか。
やはりどれも自分なんだろう。
これから何をしようとも。どんなミスを犯そうとも。例え人格破綻者になろうとも。
それが自分であるということが自分というものを保証してくれているのかもしれない。

真理を追いかけている間は真理へどれだけ迫れたかこそが自分を測る尺度となる。
が、そんなことを超えてどの瞬間でも自分であり、また自分ではないのかもしれない。
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人生観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/07/28 21:14
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