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弱虫

・苦しい、というのを受け入れてしまっている。
苦しいというのを飲み込んだ上で、どうすれば楽になれるか、と。
「苦しい」という言葉が出てこない。そのおかしさ。異常さ。
当たり前のこととして受け入れている。
叫んでも良かったのだ。ちくしょう!と。
なのに当たり前のことにしている。
主体性のなさ。
現実から一歩引いて生きている。
諦めている。自分の人生を生きるということを。
生きるということさえ「合わせている」。
仕方なく生きているだけ。
自分の人生だという実感がない。
そういう時期もあったがもう手離してしまった。
とても敵わぬ敵に出会ってすっかり魂が委縮してしまった。

・罪悪感、責任感。責任感の強い人はうつになりやすいと聞いたことがあるが、
それはわかる気がする。
責任感という名の弱さ。
あまりにも「人間的な」情。
罪悪感も責任感も“飲み込み系”だ。
主体性の放棄。
行きつくところまで行くと、「自分が消えれば」となる。
「知ったこっちゃねぇ!」と叫ぶ自由もあるのだ。
そこに精神が輝くのだ。
別に滅茶苦茶やっても良かったのだ。
人を殴ろうとも。犯罪を犯そうとも。悪人になろうとも。
「そんなもの知ったこっちゃねぇ!お前らにとやかく言われる覚えはねぇ!」
そう言う自由はあったのだ。
それをまた忘れていた。

・生きることが罰になっている。
死ぬと罰から逃げたことになる。だから生きている。とも言える。
ちゃんと罰を受けています。甘んじて受けています。
誰も笑って生きてなどいません。ちゃんと苦しんでいます。
毎日毎日死にたいと思いながら、「それでも」ではななく、「だからこそ」、生きています。
死にたいからこそ、苦しいからこそ、罰として死なずに生きています。
こんな人のどこに主体性があるだろうか。自分の人生という意識があるだろうか。
僕はちゃんと苦しんでいます。見て下さい。
ほら、僕はこんなにも可哀想な人間ですよ。
こんなにも惨めな人間ですよ。
まったく哀れですね。自分で自分の人生を滅茶苦茶にしている。
ちゃんと自分で自分を罰していますでしょう。
という誰に対してかもわからないアピール。
結局はそうやって身を守ろうとしている。
身を傷つけることが守ることになっている。
でもそれは弱い者のとる手段だ。
苦しみを飲み込んでしまった者の。魂の委縮してしまった者の。
まるで亡霊のようだ。
人間であることを忘れてしまっていた。
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つぶやき | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/08/08 22:59
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