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奴隷のススメ

おそらく今の僕に一番必要な言葉。
「自分の殻から抜け出せ」。

殻に閉じこもっていることはわかっている。
し、「殻」と認識している以上、当然出たいと思っている。
だいたい、「殻」という表現は悪い意味で使われるから。
でも、出られない。

どれだけあがいても、殻、枠、壁に触れない。
その覆っているものに触ったことはないのだが、
自分が何らかの空間の中に閉じこもっていることはわかっている。
せめて触れたらそれを手掛かりに踏ん張ったりもできるのだが、
触れない以上、何をしても空振りに終わり、やがて萎える。

萎えると言っても、萎えっぱなしではない。
人間の身体はどこまでも生きよう生きようとするから、
そのうちまた気力が充実してくる。
が、それをぶつける先がないから(触れないとは対象がないということ)、
発散できなかった生命力が内向して身体を傷つける。

この鬱々とした感じ。
自分のことを言っているのだが、これは「現代の特徴」と言ってもいいと思ってる。
現代で何が問題となっているかを挙げて、
その上位のほとんどはこれに関係してるとさえ思ってる。
まあ、僕がランク付けするわけだが。

みんな出たいのだ。殻から。
「昔はよかった」のは、昔はエネルギーを流す対象があったからだ。
吐き出し口がなければエネルギーは鬱滞する。
鬱滞が続くようなら、やがて作りだされるエネルギー量自体が減少する。
生きる力をなくしてしまう。

草花でいうと、根が枯れてしまうというところだろうか。
土から栄養を吸収できなくなる。
栄養がなければ、伸びんとする力も湧いてこない。
草も人間も同じ。

栄養とは味。
人間も根が枯れると何物の味も感じなくなる。
何を食べても味気なく感じるようになる。
「適量の栄養素を摂りなさい」とか皆言うが、僕はそんな信仰は持たない。
どんなに栄養を摂っても、味を感じなければ健康であれるはずがない。
栄養素が人を生かすのではなく、味が人を生かすからだ。

人は物質によって生かされるのではない。
己の精神によって生きるのだ。
己の生きんとする力を生みだすために食らうのだ。
食らうから味を感じる。
摂っていても味は感じない。それではただ生かされるだけの人形。

味はどこに存在するか。己で食らうところにある。積極性の中にある。
この主体性を手離してはいけない。
が、生きていると段々消極的、受動的になってくる。
色んなものを気にし、色んなものに合わせるようになる。
色んな価値、良い悪い、そんなものを気にするようになって、身動きが取りにくくなる。
人が決めた良い悪い、人が決めそうな良い悪い、そんなものに合わせるようになって、
つまり「人間らしく」なることによって、生きんとする一個の生命ではなくなってしまう。
何が己が生命力を妨げたか。何がその力を押さえつけたか。
己が観念だ。それを指して「自分の殻」という。

何が正しく何が間違っているか。何に価値があり何に価値がないか。
そんなものに答えはない。
答えがないからずっと殻から出られない。壁に触れない。
触れないからイライラする。触りたい分だけイライラする。その気持ちの分だけイライラする。
触れなかった経験を重ねると段々触りたいと思うこと自体を諦めるようになる。
経験を重ねなくても、「絶対の正解なんて自分にわかるものではない」と
皆どこかでわかっているから、段々あがく手が重たくなってくる。
本気であがくことができなくなってくる。
イライラの及ぼす身体への害が許容量を超えると気持ち自体を抑える方にシフトする。
そして生まれるのが無気力人間(僕)。

価値など自分で作っていくものだ。
己を操っていくような、己を主導するような価値など本末転倒。
あくまでもこちらが主体。
良いか悪いかは自分で決める。
というか皆それぞれ好き勝手に決めている。
その決めた価値を「自分由来」と思えるかどうかが肝要。
皆「普遍的な価値」を求めるから殻に閉じこもることになり、やがて鬱になる。
「人と人とがわかり合う、通じ合う」を目指す人が
実は自分の殻に閉じこもっているのだという皮肉。

なぜ誰もが納得する言語を話そうとするのか。
それは裏を返せば、「自分」ではいられない弱さの表れではないのか。
人からの保証なしでは自分ではいられないという弱さではないのか。
だがそれをここで断罪するなら、それはただの「価値」の奴隷。
「正しさ」の奴隷は「弱者」を切り捨てることを生きがいとする。
「弱さ」とは何か。何を「弱い」と言うか。「自分は」何を「弱い」と言うか。宣言するか。
また、何を「良い」と言うか。何のために言うか。言ってどうするか。
これは決していわゆる精神論ではないし理想の話でもない。
「意志」の話をしているが精神論ではない。
「こうするべき」といっているが、理想を語っているのでもない。
それらは奴隷のススメだから、むしろそれとは反対のことを言っている。
そうかと言って、「これは完全に僕の価値観だから気にしないで下さい」と言うのでもない。
むしろ僕の価値観なのは当たり前なのだから。
その辺の説明が難しい。


何を書くか決めないままダラダラ書いてたら意外と長くなった。
後半ちょっとニーチェを意識した。
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人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/08/26 23:46
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