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こだわりに込めた願い

久しぶりに何か書こうという気になった。

人にはそれぞれユニークな癖がある。
他人から見れば不思議でしょうがないのだが、
本人にとってはそれをするのがある意味で自然なのだ。
むしろ我慢しているとどこかむずむずしてくる。

こだわりも癖だと言っていいと思う。
小さなこだわりもあれば、どうしても譲れないような大きなこだわりもある。
己のすべてを賭けていると言いたいようなこだわりもある。
他人から見れば不思議でしょうがないのだが、
本人にとっては深刻なのだ。
客観的に見ればそれはやってもやらなくてもどちらでもいいようなことなのだが、
本人はそこにある種の正義のようなものを見ている。
が、そう思っているのは本人だけなのだ。
客観的にみれば大抵のこだわりは本当につまらないようなものなのだ。

こだわりとは、そこに力を入れているということ。
身体をみてもわかるように、動くためにはそこに力を込めなければいけないが、
その込め方や筋肉のどの部位に込めるかにも人それぞれ癖がある。
またどう動きたいかにも癖がある。
そうするといつも緊張している部位が出て来て、それはやがてコリとなる。
こだわりとは凝りでもあるわけだ。
身体のどの部位が凝りやすいかは生まれついてのものや置かれている環境によって
人それぞれ異なる。
自分の癖を知ることは大事なことだと思う。
そして凝りが他の部位であってもおかしくなかったのだということを思うのも大事なことだと思う。

唐突で話が飛ぶかもしれないが、人は癖を無くすために生まれてくるんじゃないかと最近思う。
別にそれが事実だとか言うつもりもないし、本気でそう思っているわけでもない。
でもそう閃いた時、心がすんなりと受け入れた。

癖はどんなに直そうとしてもなかなか直るものではない。
そこに力を入れたがっているのに、入れずにおくことはなかなか難しいのだ。
癖は外側から矯正できるものではない。
では、どうすればなくなるか。
やり切れば自然と納まるのだ。
片側への歪みは、歪み切らせてあげることで、自然と平衡を取り戻す。
過去のトラウマも心のしこりも同じ。
なくそうとしてなくなるものではない。全力で痛みを発散することによって成仏する。
燃料を使い切れば、もう運動を起こしようがなくなるのだ。
動機がなければ動きようがない。

さっき、癖を直すために生まれてくると言ったが、
だからそれも、癖を出さないように我慢しながら生きなさいということではなく、
むしろ反対に全力で癖をやるしかないということなのだ。

人生レベルのこだわりというのは、周りとの衝突を生みやすい。
自分のことを思って書いている。
でも、そういう癖を持った人間として生まれてきた以上、それをやり切るしかないかなと思うのだ。
例えそこに何の正義もなくとも。
もちろん、後天的に手に入れる癖もある。
でも、それも含めて、それをやるために生まれてきたんじゃないかなと思ったりする。

昔は、自分のこだわりに正義を見ようとした。
淋しい思いをすればするほど、そこにこだわった。
誰も理解してくれないけど、自分のやろうとしていることは正しいことなのだ。
自分は人間ならば絶対やらねばならないことをやろうとしているんだ。
自分こそが真っ当なのだ。やらない方がどうかしているのだ。
とそう言い聞かせた。そう全力で思えなかったからこそ。
でも、その正義というものは、僕が「正義と見ていた」だけだった。
正義と見れば見える。見なければ見えない。
純粋な正義などないのだ。別に正義に限らず。
僕のこだわりは、客観的に見れば別にやってもやらなくてもどっちでもいいようなものなのだ。
そう見抜く客観的な目が欲しい。

きっと、やり切ってしまえば、なんて無駄なことをしていたのだろうと思うのだろう。
やらなくてもいいことをずっとやっていたと。
でも、そう思えるためには、全力でやり切るしかないのだ。
ちょうど脱力するには一度全力で緊張しなければならないのと同じように。
生まれ持ったその動機の分を使い果すまで。その分量は人それぞれ。

癖なんてものはないに越したことはない。
でも、そのない方がいいようなものを、
あえてするために持って生まれて来たという観点を持ってみるのも面白いと思う。
その癖が結果悪へ繋がろうと善へ繋がろうと、ただ引き受ける以外にないのかなと思う。

その癖にどんな願いを込めているのか。それを想像することの大切さを思う。
「偉業をなすため」とか「使命」とかそうやって主観に逃げるのではなく、
幼さゆえにやらなくてもいいような失敗を何回も繰り返している我が子を見守るような客観的な目で
自分のこの癖は何をやろうとしているのか、どんな願いを持っているのかと、
見抜くのではなく、見守ることの大切さを思う。
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人間観 | コメント(0) | トラックバック(0) | 2014/12/09 20:33
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